干支って面白い慣習ですよね。12の動物を年に当てはめて12年で一回りするなんて昔の人は上手いことを考えたものだと感心します。
あなたはご自分の干支をご存じですか?
職場などでも36歳の人が「俺は今年の年男だ、24歳だからな」なんて言ったら「え?48じゃなかったの?」なんて切り返され、怒ったりする場面を見かけることがあります。
私は実はねずみ年です。ねずみ年だからチョコマカとせわしなく動くし頭の回転が速いんだなんて言われることもしばしば。実は関係ないんですけどね。
この干支の動物の話、結構有名なので子供の頃に聞いたことがあるんじゃないでしょうか?でも正確にどんな話だったか思い出せますか?
子供に「なんで十二支って決まったの?」と聞かれる前に、由来となるお話を再チェックしておきませんか?
他にも干支に関して調べたら面白い事が沢山分かってきましたので、ぜひ最後までお付き合い下さいね。
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干支の順番の由来のお話
干支の順番には由来となる言い伝えがあります。
干支と言えば「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・羊・申・酉・戌・亥」の12の動物を指すものとして知られていますね。
でも厳密にはこれは「十二支」と言います。干支とは何かは後で解説します。
まずは十二支の由来となった言い伝えをご覧下さい。
きっかけは神様の宣言
昔、神様が暦を決めるときに動物たちに次のように宣言しました。
「儂はこれから暦を決めようと思う。1月1日の朝、儂の所に挨拶に来た動物の12番目までをその年を代表する動物に定めるぞ。」
これをきっかけとして、足の速さと知恵をフル回転しての動物たちの大レースが始まりました。
ずる賢さで一番になった鼠
中でも自分は足が遅いと思っていた牛は、他の動物たちよりも1日早く出発して間に合うように努力しました。
しかし牛が早く出発しようとしていることを察知した動物がいます。鼠です。
鼠はずるいことに、走って行く牛の頭にこっそりと飛び乗ってしまいました。
1月1日の朝、一番で到着したのは早く出発した牛です。でも神様に挨拶しようとした瞬間、牛の頭から飛び降りた鼠の方が先に神様に挨拶してしまいました。
こうして鼠の1番、牛の2番が確定しました。
大先輩に敬意を表した蛇
続いては走るのが速い虎がやって来て3番になりました。
4番になったのは兎です。兎は他の動物が休んでいる間も昼夜走り続けたため、上位に入ることができました。
次にやって来たのは蛇でした。でもすぐ後ろからは竜が来ていました。
竜は賢くて体も大きく、蛇にとっては大先輩のような存在です。そこで蛇は竜に敬意を表し順番を譲ったために、5番が竜、6番が蛇となりました。
昔からの犬猿の仲
続いては馬、羊が次々と神様の元へやって来て挨拶をしました。
その後ろからなにやら騒がしい一団がやって来ました。なんと猿と犬が喧嘩をしながら走っているではありませんか。そんな2匹の中に入って必死で止めているのが鶏です。
鶏は猿と犬が取っ組み合いの喧嘩にならないように注意深く2匹の間に入りながら神様の元へやって来たため、猿と犬の間の順番となりました。
止まれずギリギリになった猪
猪はとても走るのが速いため、実は一番乗りで神様の直前まで来ていたのです。
しかし神様に挨拶をするためにはスピードを落として止まらなければいけません。にもかかわらず猪はまっすぐに走ることしかできなかったため、神様の前を通り過ぎてしまっていたのでした。
慌てて引き返してきて今度こそは神様に挨拶をする事ができました。それもギリギリの12番になんとか間に合ったのです。
鼠にだまされたかわいそうな動物
さて、12番に入りたくても入れなかったかわいそうな動物がいます。それも鼠に騙されたために。
それは猫です。猫は昼寝をしていて神様の宣言を聞き漏らしてしまいました。そこで鼠にいつ神様の所に挨拶に行くのかを尋ねました。
ずる賢い鼠はウソを教えました。1月2日に行けばいいよと答えたのです。
1月2日に神様の元を訪れたとき、当然ながらもう12番までの動物は決まった後でした。
この一件以来、猫は鼠を目の敵にして追い回すようになったのです。
以上が十二支の由来の物語です。
さて、最初の方で干支と十二支は同じではないと書きました。では干支とはどういうものかを続けて解説していきます。
干支とは「十二支」「十干」の組み合わせ
干支とは「十二支」と「十干(じっかん)」からなる60通りの組み合わせのことです。
古代の中国で考えられたもので、暦に利用されました。
一年ごとに甲子(きのえね)、乙丑(きのとうし)…と年を数え、60年で1巡がめぐるシステムになっていたのです。
では「十干」とはどのようなものかもう少し詳しく見てみましょう。
「十干」とは10で一巡りする集合
十干とは漢字で書くと「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」となります。
これらは暦以外に用いるときは「こう、おつ、へい…」とも読みますが、暦としては「きのえ、きのと、ひのえ…」などと特殊な読み方をします。
これは古代中国の5行説にある「木・火・土・金・水」と「陽・陰(=兄・弟)」を組み合わせたものを読み方として当てはめているためです。
表にすると分かりやすいので下をご覧下さい。
十干 | 読み方 | 漢字 |
甲 | こう/きのえ | 木の兄 |
乙 | おつ/きのと | 木の弟 |
丙 | へい/ひのえ | 火の兄 |
丁 | てい/ひのと | 火の弟 |
戊 | ぼ/つちのえ | 土の兄 |
己 | き/つちのと | 土の弟 |
庚 | こう/かのえ | 金の兄 |
辛 | しん/かのと | 金の弟 |
壬 | じん/みずのえ | 水の兄 |
癸 | き/みずのと | 水の弟 |
この十干と十二支を組み合わせて両方を年ごとに一つずつずらしていくと、60年で1巡するんですね。
ところで「60年で1巡」と聞いてピンときたあなたは鋭い!そう、あれは実はこの60年を指しているんです。
干支が一巡するサイクルが「還暦」
ご想像の通り、「還暦」とはこの十二支と十干の組み合わせによる暦が一巡するサイクルのことを指しています。文字通り暦が還ってくる訳ですからね。
還暦というと赤いちゃんちゃんこを着てお祝いをするイメージがあります。
でも人間が60年以上も生きられるようになったのはせいぜいこの100年程度のことです。古代においては日本でも中国でも60年も生きるのは稀だったため、暦も60年のサイクルで十分だったんでしょうね。
「俺は丁丑の生まれだ」と言えば通じたし、だいたい何歳かも分かったんでしょう。自分との年齢差もおおよそ分かったんだろうと思います。
さて、干支で生まれが分かったのは昔の人だけではありません。現代の日本でもいろんな所に干支を利用した名称が見受けられるってご存じでしたか?
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名前で発生年が分かる物事
私たちの身の回りにもこの干支にちなんだ名前を持つ物事が沢山存在しています。ここではこうした事柄を紹介していきます。
高校球児の聖地が完成した年
日本人なら誰でも知っているあの球場は、完成した年の干支にちなんで付けられました。そう、あの「阪神甲子園球場」です。ちゃんと名前に「甲子(きのえね)」と入っていますね。
奇しくもこの年、十二支も十干も揃って一番に戻ってくるお目出度い年にあたりました。このことにちなんで球場一体の地名を甲子園とし、野球場を甲子園球場と命名したそうです。
ちなみに西暦に直すと1924年のできごとです。ここを起点として覚えておくと、この60年前と60年後はやはり甲子の年だと分かりますね。
幕末の内戦も干支にちなんで名付けられた
幕末の内戦と聞けば出てくるのが西南戦争とか戊辰戦争です。実はこの戊辰戦争も始まった年の干支から付けられた名前です。
戊辰は干支に照らすと「つちのえたつ」です。西暦に直せば1868年で、明治元年にあたります。
「1868年戦争」とか「明治元年内戦」などと名付けるといかにも機械的に付けられた名前という感じがします。
一方「戊辰戦争」というネーミングは幕末から明治にかけての日本の激動のイメージを損なわない見事なセンスだという気がしませんか?
古代の日本の内乱も干支に関係
更に大幅に遡って飛鳥時代の日本、「壬申の乱」という大きな内乱がありました。これも壬申(みずのえさる)の年に発生した内乱だからこのような名前が付けられています。
壬申の乱とは、中央で権力を握っていた大友皇子に対し、地方豪族を従えた大海人皇子が反旗を翻して勝利した内乱です。西暦672年のことです。
まとめ
いかがでしたか?十二支って実はこんな言い伝えがあったんですね。
日本の十二支には猫がいない理由が言い伝えにちゃんと盛り込まれているんですが、外国の十二支には猫がいるところもあるんです!でもそれは別の記事でいずれご紹介します。
それでは今回の記事の内容をおさらいしておきましょう。
- 干支の動物の由来となる物語を紹介しました。
- 干支とは十二支と十干の組み合わせで、暦を数えるシステムとして用いられました。
- 干支は甲子園や戊辰戦争などの名前にも使われています。
60年で一巡りする干支ですが、自分の十二支は分かっても十干まで含めた正確な干支を言える人は少ないのでは?この際だから調べてみると面白いかも知れませんよ。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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